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2008年07月19日

中山道太田宿


岐阜県の、中山道太田宿を見て来ました。

岐阜県なら車でも行けるのでしょうが、列車旅が好きなので、今日は、JRの特急ひだで、行きました。ずっと乗っていると高山を通って、富山まで行ってしまいます。夏休みの連休の初日ということもあって、電車は満席でした。
美濃太田駅で降りました。

太田宿は、中山道69次の51番目の宿場、美濃十六宿の中央にあります。
太田宿には、中山道三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えました。
現在も古い町並みや枡形などが残り、宿場情緒を楽しみながら散策できます。


太田宿中山道会館(資料館みたいなところ)
中山道太田宿
中山道太田宿

太田宿本陣(門だけ、、)
中山道太田宿


旧太田脇本陣林家住宅
中山道太田宿


旧小松家(吉田家住宅)(休憩所になっていました)
中山道太田宿


祐泉寺(禅宗のお寺、、、臨済宗妙心守派)
祐泉寺の境内には数多くの石碑が残されています。
大正3年(1914年)、この地を訪れ、太田町(現在の美濃加茂市太田町)から犬山町(現在の犬山市)までの木曽川がヨーロッパのライン河に似ているとして「日本ライン」と命名した地理学者志賀重昂の碑、
槍ケ岳を開山した播隆上人の歌碑や墓碑、
太田の地で生れ育った明治の文豪坪内逍遙が述懐の念をこめて詠んだ「椿の歌」の碑、
北原白秋が祐泉寺を訪れ茶席でしたためた歌の碑、
松尾芭蕉の門弟となった脇本陣3代目の林由興(冬甫)が師を悼んで建てた芭蕉の句碑、
西園寺公望の石標などが残され、祐泉寺の歴史の古さを物語っています。
中山道太田宿


木曽川。この先に、日本ライン下りの乗船場があります。
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