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2008年09月16日

木下恵介記念館

浜松駅前、複合施設フォルテが10月で閉鎖されるそうで、

中に入っている施設は移転を余儀なくされている。

去年、行った小野リサさんのコンサートをやったホールも無くなるし、、、寂しいな。

市の配慮の足りない施設造りは、もう勘弁して欲しい。

ということで、木下恵介記念館には、まだ行っていなかったので、見てきました。

木下監督(故人)は、浜松市出身の映画監督。

そうそう、お友達のお店の寸座フランセさん(浜松市北区細江町)は、木下監督の別荘近くに あり、生前、 店内でシナリオを書いたりしていることがよくあったそうです。

木下監督は、戦争体験もあるわけですが、
国家のため戦争で殺しあったりするのが人間の本性ではなく、
鳥を愛でる真心こそ本姓であり、
またプライドばかりの大和魂を嫌悪し、
ただマジメにこつこつ働く父親、子供の為に一生懸命な母親、そういう平凡な人々に人間性を見出して映画を作られているようです。

9月23日までは、「木下恵介監督黄金期」 の展示が開催されています。

カルメン故郷に帰る
二十四の瞳
野菊の如き君なりき
喜びも悲しみも幾歳月
楢山節考

木下恵介記念館

  我が国を代表する映画監督として、また、日本映画の黄金時代を築いた映画監督の一人として知られる木下恵介は大正元年(1912年)に浜松市に生まれました。
  昭和8年(1933年)松竹キネマ蒲田撮影所に入社、昭和18年(1943年)の監督第1作「花咲く港」でデビュー後、「カルメン故郷に帰る (昭和26年)」、「二十四の瞳(昭和29年)」、「野菊の如き君なりき(昭和30年)」、「喜びも悲しみも幾歳月(昭和32年)」、「楢山節考(昭和33年)」と戦後は毎年のように、世評の高い作品を発表し続けた。その監督作品は未完に終わった「戦場の固き約束」と合わせ、50作品に及びその総ての作品が高い評価を得ています。平成10年(1998年)多くの方々に惜しまれつつ亡くなられました。
 故郷、浜松を愛した監督は生前、浜松文芸館の名誉館長を務めるなど、浜松に残された功績も多く、また、存命中はもとより遺族からも寄贈を受けた監督ゆかりの資料を多くの方々に紹介するとともに、その功績を称え、合わせて浜松の映画文化高揚の拠点となるよう、木下恵介記念館は平成13年(2001年)7月1日開館しました。

木下恵介記念館

木下恵介記念館

木下恵介記念館

フォルテ外観
木下恵介記念館


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