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2009年05月09日

野田城址

2番目の目的地、は、野田城址、です。

里宮と本宮との途中、伊那街道沿いに、ひっそりと在ります。

ここのお城と、戦いは歴史上有名ですので、見てみたいところでした。

信玄が暗殺未遂に会うところですね(異説ですが)。実際は病気が重くなったのかな。

看板が二つあるだけで特に何もなく、現在は、石碑と稲荷神社があるのみです。

野田城址の石碑
野田城址
堀らしき溝
野田城址


以下、看板の案内

この城は、永正5(1508)年に築城されたと伝えられる。菅沼定則、菅沼定村、菅沼定盈等がここを居城とした。
城郭は南北に長く、北より三の丸、二の丸、本丸と続くいわゆる連鎖式の山城である。東西両側は谷になっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。
戦国時代、今川、武田、徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年菅沼定盈が関東へ移封されるまで続いた。

野田の戦
元亀4(1573)年1月、上洛をねらう武田信玄は宇利峠を越えて三河に侵入してきた。菅沼定盈の守るこの野田城を攻撃するためであった。
野田城は小城であるが、備えが固くなかなか攻め込めない。そこで信玄は甲州の金堀人足を使って水脈を切り、城内の水をからしてしまった。菅沼定盈は徳川家康の援軍も来ないので、城の運命もこれまでと判断し、城を明渡した。


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