› シロの日記 › 日記 › 豊橋市の歴史的建築物

2009年10月25日

豊橋市の歴史的建築物

豊橋市には、転勤で三年間勤めたことがありますが、当時は通勤で精一杯だったので、以外と何処も観ていなかったです。
せっかく来たので今日は観光も少ししました。

吉田城跡
吉田城は、三河国渥美郡今橋にあった城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。 江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後には、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれた。

写真は、復元された鉄櫓。内部は階段で登れます。あと天然の要害、豊川。



豊橋聖ハリスト教会
豊橋ハリストス正教会は日本正教会の教会であり、
聖堂は1984年に県指定有形文化財に指定され、2008年には国重要文化財に指定された。


豊橋市公会堂
建物は「ロマネスク様式」と呼ばれる物で、中村與資平が設計。鉄筋コンクリート造りの近代的建築物の発祥とも言われる。スペイン風の円形ドームは、スパニッシュ・コロニアルリバイバルという1910-20年代にカリフォルニアで流行したスタイルを模倣したものである。これは、スペインが、メキシコ、カリフォルニアを統治していた時代の建築様式の復興を試みたものをいう。


安久美神戸神明社(豊橋神明社)
安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)は、愛知県豊橋市にある神明神社である。別名豊橋神明社。
ご祭神は、天照皇大神
由緒
天慶2年(939年)11月、関東において平将門が乱を起こした。京の朝廷は、参議の大伴保平を勅使として東海の伊勢神宮へ派遣し、関東平定を祈願した。この霊験のおかげか、翌年2月関東の承平天慶の乱は直ちに平定することができた。天慶3年(940年)、関東鎮圧を喜んだ時の帝の朱雀天皇は三河国渥美郡北端である豊川左岸の安久美(飽海)荘(豊橋市中心部)を伊勢神宮へ寄進した。そのため、この地は安久美神戸(あくみかんべ)という名の神領地(神戸、かんべ)となる。その時に伊勢神宮祭主大中臣頼基の庶流・大中臣基守が伊勢国より来たり、この新神戸(しんかんべ)の屋代(やしろ)として創建されたのが当社である。
例祭
当社は天下の奇祭鬼祭(おにまつり、国指定重要無形民俗文化財)で知られる。メインの天狗と鬼のからかいは平安時代から舞われていたユーモラスな有名な田楽であり、本来大晦日に行う年越しの神事であった。


(記事は主にwikipediaに拠る)

今日は、ちょうど市電のイベントがあるようで大勢の鉄道写真愛好家が陣取っていましたが、私は目的が違ったので、市電にそのまま乗りましたが、豊橋市はちんちん電車が残っているのがいいですね。

豊橋鉄道市内線
http://www.toyotetsu.com/shiden/index.shtml



同じカテゴリー(日記)の記事
川邉耕一展
川邉耕一展(2024-02-10 17:38)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
豊橋市の歴史的建築物
    コメント(0)