2008年09月23日
納櫃祭 (池宮神社 桜ヶ池)
今日は、御前崎市の、池宮神社 桜ヶ池 納櫃祭 に行ってきました。
変わった神事のお祭りがあるということで、行ってきました。
メインの神事は午後1時からでしたが、少し早目の午前11時に行き、一番近い臨時駐車場に入れました。
観光バスとか、シャトルバスとかもたくさん来ていました。
既に結構参拝客でいっぱいでした。
縁日の屋台もいっぱいあり、いかにもお祭りっていう雰囲気が漂っています、、、。
入り口で、木をカンナで削ったみたいなのを丸めて串で刺したものを持っていって、
池の前の所で、皇円阿聞梨大竜神に、捧げました。
桜ヶ池は結構大きかったです。
本殿に参拝して、ご朱印を戴き、そして場所取りへ、、、。
約1時間30分後の12時半にお櫃が本殿に到着。お櫃祭が行われました。
その後、お櫃は池の東の岸へ神輿で運ばれていきました。
13時になると納櫃祭のはじまり、はじまり。
池の西の岸、本殿側から、勇ましい男衆が小舟で行く者と、その後を泳いで行く衆とが出発しました。西から東の岸へ、、、。
泳いで行った衆が着くと、各人、お櫃を受け取り、今度はそれを担いで泳いで池の真ん中辺まで行き、そこで、両手で力を入れてお櫃を水中に沈めます。
そして、ゴーーンと鐘の音が鳴ります。
これを今年は七十数櫃するそうです。お櫃の一つひとつはたくさん詰めているので女性だったら両手でも持つのが難しいくらい重いそうです。
大変だなあ。
この日の為に、日々遠州灘で身を清め、井戸で身を清め、務めてきたそうです。
沈んだお櫃は浮かんで来ないです。
諏訪湖と繋がっているという説もあるらしいです。
以下説明は引用転載です。
無形民族文化財 桜ヶ池のお櫃納め(静岡県指定文化財)
桜ヶ池 池宮神社の特殊神事で、遠州の七不思議の一つ「納櫃神事」は社伝によると「桜ヶ池に入定して蛇身となられた皇円阿聞梨の高弟浄土宗開祖「法然上人が師の霊を訪ね、桜ヶ池池畔で法話を交えた後、檜作りのお櫃に赤飯を入れ、一つは師の御供養に池心に納め、もう一つは池宮神社に納めたこと」に始まるとされる。この納櫃が承安5年(1175)と言われている事から800年あまり続いていることになる。また、「神格神聖化された池に実りの秋の初穂を神に感謝して奉賽する意味で、赤飯にして納めたもので、そこへ皇円の伝統が加わり一層盛大になった」との考えもある。この神事は江戸時代数多くの著書に紹介されており、御神櫃の大きさ、数、納櫃奉仕者の数等は変わっているが、本質的な神事そのものは何ら変わるところは無い。
祭 日 9月23日(彼岸の中日)
お櫃納めの内容遊泳団の青年は、1番の者から順番に池の中に入っていく。腰ぐらいの深さに来たとき池の中央に向かって榊で水を切る所作をする。これを水切りとよび、池に入るとき、出るとき必ず行う祓いの行法である。泳ぎ始めた青年は池の中央を経て、対岸の東山まで一気に泳ぐ。次いで、10m程の間隔で一人ずつお櫃をもって泳ぎ、池の中央まで来る。神船の精進男の指示でお櫃をまず回し、奉納者の名を神社の方に向け一気に体重をお櫃にかけ沈める。お櫃が沈められる度に池の畔にある鐘堂の鐘が次々に打ち鳴らされる。遊泳団により全てのお櫃が奉納されお櫃納めの神事が終了となる。
池宮神社
敏達天皇13年(584年)の創建とされるが、当時より桜ヶ池は神格化され、池そのものを拝んでいたものとされています。神殿の造営は、長保3年(1001年)佐倉氏の祖、源信栄の手によりなされ、その後栄枯盛衰激しく、江戸時代神官信盛が再興し現在に至っています。池宮神社は、古くから開運厄除、延命長寿、大漁満足、海上安全の神として信仰されてきました。また、水の神の信仰の系譜であり、信州諏訪大社との関連も深いそうです。本殿は、江戸初期風の意匠工法がみられ、小規模ではあるが注目すべき建物です。
御神祭 : 瀬織津比メ命、事代主命、建御名方命
桜ヶ池と龍神伝説
桜ヶ池は、三方を屏風のように原生林に囲まれ、深い緑色の水を湛え、神秘的な雰囲気が漂っています。広さ2万平方メートル、2万年ほど前、地殻の変動により形成された丘陵の凹地(谷)が南方より風や波によって運ばれてきた砂によってせきとめられて出来た堰止湖だとされています。古来より神池として信仰され、五穀豊穣、海上安全が祈願されてきましたが、平安末期、比叡山の名僧円阿闍梨が、末法思想に悩む一般大衆を救済するには56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待つほかなしと、身を龍と化し桜ヶ池に入定され、その後高弟法然上人が恩師の供養をされたという伝説により一層尊厳な池として崇められています。このような、神秘的な雰囲気と皇円阿闍梨入定伝説を持つ桜ヶ池は、昭和29年県指定名勝となっています。
変わった神事のお祭りがあるということで、行ってきました。
メインの神事は午後1時からでしたが、少し早目の午前11時に行き、一番近い臨時駐車場に入れました。
観光バスとか、シャトルバスとかもたくさん来ていました。
既に結構参拝客でいっぱいでした。
縁日の屋台もいっぱいあり、いかにもお祭りっていう雰囲気が漂っています、、、。
入り口で、木をカンナで削ったみたいなのを丸めて串で刺したものを持っていって、
池の前の所で、皇円阿聞梨大竜神に、捧げました。
桜ヶ池は結構大きかったです。
本殿に参拝して、ご朱印を戴き、そして場所取りへ、、、。
約1時間30分後の12時半にお櫃が本殿に到着。お櫃祭が行われました。
その後、お櫃は池の東の岸へ神輿で運ばれていきました。
13時になると納櫃祭のはじまり、はじまり。
池の西の岸、本殿側から、勇ましい男衆が小舟で行く者と、その後を泳いで行く衆とが出発しました。西から東の岸へ、、、。
泳いで行った衆が着くと、各人、お櫃を受け取り、今度はそれを担いで泳いで池の真ん中辺まで行き、そこで、両手で力を入れてお櫃を水中に沈めます。
そして、ゴーーンと鐘の音が鳴ります。
これを今年は七十数櫃するそうです。お櫃の一つひとつはたくさん詰めているので女性だったら両手でも持つのが難しいくらい重いそうです。
大変だなあ。
この日の為に、日々遠州灘で身を清め、井戸で身を清め、務めてきたそうです。
沈んだお櫃は浮かんで来ないです。
諏訪湖と繋がっているという説もあるらしいです。
以下説明は引用転載です。
無形民族文化財 桜ヶ池のお櫃納め(静岡県指定文化財)
桜ヶ池 池宮神社の特殊神事で、遠州の七不思議の一つ「納櫃神事」は社伝によると「桜ヶ池に入定して蛇身となられた皇円阿聞梨の高弟浄土宗開祖「法然上人が師の霊を訪ね、桜ヶ池池畔で法話を交えた後、檜作りのお櫃に赤飯を入れ、一つは師の御供養に池心に納め、もう一つは池宮神社に納めたこと」に始まるとされる。この納櫃が承安5年(1175)と言われている事から800年あまり続いていることになる。また、「神格神聖化された池に実りの秋の初穂を神に感謝して奉賽する意味で、赤飯にして納めたもので、そこへ皇円の伝統が加わり一層盛大になった」との考えもある。この神事は江戸時代数多くの著書に紹介されており、御神櫃の大きさ、数、納櫃奉仕者の数等は変わっているが、本質的な神事そのものは何ら変わるところは無い。
祭 日 9月23日(彼岸の中日)
お櫃納めの内容遊泳団の青年は、1番の者から順番に池の中に入っていく。腰ぐらいの深さに来たとき池の中央に向かって榊で水を切る所作をする。これを水切りとよび、池に入るとき、出るとき必ず行う祓いの行法である。泳ぎ始めた青年は池の中央を経て、対岸の東山まで一気に泳ぐ。次いで、10m程の間隔で一人ずつお櫃をもって泳ぎ、池の中央まで来る。神船の精進男の指示でお櫃をまず回し、奉納者の名を神社の方に向け一気に体重をお櫃にかけ沈める。お櫃が沈められる度に池の畔にある鐘堂の鐘が次々に打ち鳴らされる。遊泳団により全てのお櫃が奉納されお櫃納めの神事が終了となる。
池宮神社
敏達天皇13年(584年)の創建とされるが、当時より桜ヶ池は神格化され、池そのものを拝んでいたものとされています。神殿の造営は、長保3年(1001年)佐倉氏の祖、源信栄の手によりなされ、その後栄枯盛衰激しく、江戸時代神官信盛が再興し現在に至っています。池宮神社は、古くから開運厄除、延命長寿、大漁満足、海上安全の神として信仰されてきました。また、水の神の信仰の系譜であり、信州諏訪大社との関連も深いそうです。本殿は、江戸初期風の意匠工法がみられ、小規模ではあるが注目すべき建物です。
御神祭 : 瀬織津比メ命、事代主命、建御名方命
桜ヶ池と龍神伝説
桜ヶ池は、三方を屏風のように原生林に囲まれ、深い緑色の水を湛え、神秘的な雰囲気が漂っています。広さ2万平方メートル、2万年ほど前、地殻の変動により形成された丘陵の凹地(谷)が南方より風や波によって運ばれてきた砂によってせきとめられて出来た堰止湖だとされています。古来より神池として信仰され、五穀豊穣、海上安全が祈願されてきましたが、平安末期、比叡山の名僧円阿闍梨が、末法思想に悩む一般大衆を救済するには56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待つほかなしと、身を龍と化し桜ヶ池に入定され、その後高弟法然上人が恩師の供養をされたという伝説により一層尊厳な池として崇められています。このような、神秘的な雰囲気と皇円阿闍梨入定伝説を持つ桜ヶ池は、昭和29年県指定名勝となっています。
Posted by シロ at 18:21│Comments(0)
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